
「頭ではわかっている」とは
知識としてわかっている状態
体験していない理解
理論や正論で見ている状態
人生を情報として見ている状態
という、いわゆる、「概念」でみている状態です。
こうすれば幸せになれる
こうあるべき
これが正しい
と、頭で理解し
人生を整理しようとしている時期。
それは決して悪いことではなく
誰もが一度は通る道です。
でも
人生は、本当の意味では
「体験」して初めてわかることがあります。
大切な人を失ったとき
愛していた人と別れたとき
がんばってきたものが崩れたとき
孤独を感じたとき
自分の弱さや執着を見たとき
そのとき初めて
以前はただの綺麗事に見えていた言葉が
身体に入ってくることがあります。
「大丈夫」
「そのままでいい」
「人は変えられない」
「愛されたかったんだね」
そんなシンプルな言葉が
涙が出るほど沁みる瞬間がある。
それは
情報として理解したのではなく
人生経験が鍵になって
感覚として開いたからかもしれません。
だから
本当に深い言葉は
誰にでもいつでも届くわけではありません。
むしろ
人生をまだ「概念」で見ている時期には
届きにくかったりします。
なぜなら
深度の高い言葉というのは
「知識」ではなく
「体験と共鳴するもの」だから。
でも逆にいえば
人生を通ってきた人ほど
深い言葉に出会ったとき
「ああ、このことだったのか」
と、魂で理解する瞬間が来ます。
だから、言葉には「タイミング」があるのです。
以前は響かなかった言葉が
数年後、人生の痛みを通った後に
突然涙が出るほど沁みることもあります。
それは、自分が変わったから。
人生を
「頭」だけではなく
「体験」で理解し始めたから。
そして
本当に深い人ほど
知識を振りかざさなくなっていきます。
なぜなら
人生は
白黒では語れないことを知っているから。
正しさだけでは
人は救われないことを知っているから。
だから
深く人生を通ってきた人の言葉には
どこか「余白」があります。
押しつけではなく
理解がある。
正論ではなく
温度がある。
そして人は
その温度に、救われたりします。
人生経験を積むというのは
単に苦労することではなく
人の痛みや弱さを
理解できるようになること。
だからもし今
誰かの言葉がまだ響かなくても
無理に理解しなくて大丈夫。
人生には
「今はまだわからない」
もあります。
でも
いつか自分がその体験を通ったとき
「ああ、こういうことだったんだ」
と、突然言葉が命を持って入ってくる瞬間がきます。
人生とは、そうやって少しずつ
「理解を深めていく旅」なのです。
Naomiの言靈
人生を「頭ではわかっている」時期には
深度の高いものは届きにくい。
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