
同じ出来事でも
ある人にとっては「不幸」で
ある人にとっては「転機」になります。
つまり世界は
最初から意味を持っているのではなく
わたしたちが意味を与えているのです。
だからこそ
どれだけ視座を高くして多くの視点を持てるか
ここが、本当に大切になってきます。
視座が低いと
目の前の出来事だけが「絶対」になってしまいます。
でも、視座が上がると
「この経験には別の見方もある」
「この人にもこの人なりの背景がある」
「今は苦しくても、長い流れで見たら必要な時間かもしれない」
と、余白を持って世界を見られるようになります。
その余白が
苦しみをゼロにするわけではないですが
苦しみに飲み込まれない在り方へと繋がっていくのです。
そして
意識が高いというのは、視座が高いということ。
誰かより優れていることではなく
「より多面的に世界を見られること」
「自分の感情や執着すら俯瞰できること」
ということです。
だから
本当に視座が高い人ほど
極端な正義や断定に向かわず
どこか静かで、余裕があります。
「それも一つの見方だよね」
と受け取れる広さがあります。
自分の体験を通して
答えを探すというよりも
「世界の見え方そのもの」を深めてみましょう。
わたしたちは、この「愛の地球」で
愛されている、ということを前提に
さまざまな感情や愛を体験させてもらっています。
Naomiの言靈
この地球に善悪があるのではなく、
「自分が善か悪かを決めている」だけ。| 還る対話 #02
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