
「本当は愛されたかった」と
どうして認めることが怖いのでしょう?
それは
「簡単に認めたら
今までがんばってきた自分が可哀想」
だと想い
今までの自分を
自分で否定してしまうように
感じてしまうからです。
人は
ただ「愛されたかった」を
認められないだけじゃなく
「認めた瞬間に自分が崩れてしまいそう」
なのが怖いのです。
ずっと強がって
耐えて
正しさで自分を守って
「大丈夫」と言い聞かせてきた。
だからこそ
「本当は寂しかった」
「本当は苦しかった」
「本当は愛されたかった」
を認めることは
負けではなく
むしろ「鎧を脱ぐこと」に近いかも知れません。
そしてその鎧は
今まで自分を守ってくれていたものでもあるから
簡単には外せず
「自分だけは自分の味方をしてあげたい」
という自己防衛が働くのです。
「ずっとずっと、一人で自分を守ってきたのに」と。
そっと自分を自分で抱きしめて
「よくやったね」
「えらいね」
と、自分で自分を抱きしめて褒めてあげてください。
想いっきり、泣いてください。
喚いても叫んでもいいから
今まで押さえつけてきた感情に
陽を当ててあげてください。
認めても
泣いても
あなたは「愛される存在」であり
あなたのままでずっと愛されてきたし
あなたのままでずっと愛され続けるのです。
「癒し」というものを
「新しい自分になること」
だと想っている間は
もっとポジティブに
もっとすごく
もっと愛される自分に
と、終わりなく「足そう」としてしまいます。
でも、本当は逆で
足していくのではなく
余計なものを脱いでいく。
「こうあるべき」
「嫌われないように」
「認められるために」
を少しずつ手放して
「ただ在る自分」に戻っていく。
だから
表面的な癒しだけだと
また次の癒しを求め続けてしまうのです。
癒し依存というか
「癒され続けないと不安」
になってしまいます。
でも
本来の自分に戻っていく癒しは
どこか静かで
シンプルで
「もう大丈夫かもしれない」
という感覚があります。
もう、誰かに何かに癒されなくても
自分で自分を癒せていますか?
Naomiの言靈
「癒し」とは、新しい自分になることじゃない。| 還る対話 #10
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