
人は、自分が一番苦しんだところで
人の役に立てることがあります。
あの頃は
ただ苦しかっただけの出来事。
どうしてこんなにがんばっているのに
うまくいかないんだろう。
どうして自分だけが
こんな目に遭うんだろう。
そんなふうに
何度も問い続けた時間が
ずっと後になって
誰かを照らす智慧になることがあります。
もちろん
苦しんだからといって
そこから何かを学ばなければいけない
わけではありません。
つらい出来事を
「必要な経験だった」
「これでよかった」
と、無理に美しいものに
変える必要もありません。
しんどかったものは
しんどかった。
悲しかったものは
悲しかった。
悔しかったものは
悔しかった。
まずは、それでいい。
でも
その時間を生き抜いた自分だからこそ
見えるものがあります。
同じような場所にいる人の言葉を聞いたとき
「ああ、この苦しさ、わかるな」と感じる。
簡単に、「大丈夫だよ」
なんて言えないことも知っています。
正しいことを言われても、
心には届かないときがあることも知っています。
前を向けない人に
「前を向こう」と言うことより
ただ隣にいることが
必要なときがあることも知っています。
それは
本を読んで覚えた知識とは違う
自分が生きて手にした智慧です。
体験は
ただ体験しただけでは
その意味がわからないことがあります。
何年も経ってから
あの出来事があったから
今の自分があるんだ
これがわかるんだ
これができるようになったんだ
と、氣づくことがあります。
点だった出来事が
ある日、別の点とつながって
一本の線になる。
すると
「失いたかったわけではない」
「苦しみたかったわけでもない」
それでも
ここを通った自分だからこそ
今できることがあるんだと
そう想える日が
来ることがあります。
過去そのものが変わったわけではありません。
起きた事実がなくなったわけでもありません。
変わったのは
その体験を持っている自分が
それをどう生かすか、なのかもしれません。
誰かが暗闇の中にいるとき
暗闇を知らない人には
見つけられないものがあります。
どこで足を取られやすいのか
どんな言葉が痛いのか
何をされると苦しくなるのか
そして
ほんの少しだけ光が差す場所が
どこにあるのか。
一度そこを歩いたことがある人には
わかることがあります。
だからといって
その人を背負って
出口まで連れていく必要はありません。
その人には、
その人の歩く力があるからです。
ただ
「ここに道があるかもしれないよ」
と、小さな灯りを置くことはできる。
自分が歩いてきた道を、
誰かの正解にするのではなく
自分がそこで見つけた智慧を
手渡すことができます。
人生には
できることなら
経験したくなかったこともあります。
今でも
「あれがあってよかった」
とは言えないことだってあるでしょう。
それでも
その過去を抱えて生きてきた自分の中には
あの頃にはなかった
やさしさや、深さや、智慧がある。
それを
これから出逢う誰かのために
使える日がきっと来るでしょう。
だから
過去を無理に肯定しなくてもいい。
ただ
その過去を生きてきた自分まで
否定しなくていい。
あなたが歩いてきた道で見つけたものは
いつか誰かが
同じような暗闇を歩くとき
その足元を照らす
小さな灯りになるかもしれない
ただそれだけでいいのです。
しんどかった過去は、
誰かを照らす智慧になります。
そしてその智慧は
苦しんだから与えられたものではなく
苦しみの中でも
自分なりに生きようとしてきたあなたが
見つけてきたものです。
Naomiの言靈
しんどかった過去は、
誰かを照らす智慧になる。
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