
迷っているとき
誰かに答えを教えてほしくなることがあります。
「どうしたらいいと想う?」
「どっちを選んだらいい?」
「これで合ってる?」
自分では決められなくて
誰かに「こっちだよ」と言ってもらえたら
どれほど楽だろうと想うこともあります。
でも
答えを与えられることでは
人は本当の意味では救われません。
もちろん
誰かの言葉に助けられることはあります。
自分では見えなかったものを見せてもらったり
知らなかったことを教えてもらったり
背中を押してもらったり
それによって
動けるようになることもあります。
だから、誰かに頼ることが悪いわけではありません。
でも、それだけだと、また時間が経つと
「本当にこれで良かったのか?」を探し始めるのです。
人生は、誰かに教えてもらった答えだけで進んではいきません。
ひとつの悩みが解決しても、
生きていれば、また次の出来事がやってきます。
そのたびに
「どうしたらいい?」
「これでいい?」
と誰かに答えを求め続けなければならないとしたら
自分の人生なのに
いつの間にか、自分では歩けなくなってしまいます。
本当に必要なのは
「正しい答え」をもらうことではなく
自分の答えに、自分で出会えること。
誰かに
「あなたはこうしたほうがいい」
と言われることと
自分の中から
「ああ、わたしは、本当は、こうしたかったんだ」
と出てくることは
似ているようで、まったく違います。
たとえ結果として
同じ答えになったとしても
自分で見つけた答えには
自分の足で歩く力があります。
そして
自分の答えに出会うために必要なのは
何かを新しく手に入れることばかりではありません。
むしろ
誰かの正しさ
世間の常識
こうあるべきという想い込み
そういうものをひとつずつ外していった先に
ずっとそこにあった自分の声が
聞こえてくるのです。
「本当は嫌だった」
「本当は寂しかった」
「本当はこれが好きだった」
「わたしは、こう生きたかった」
答えは、どこか遠くにあるのではなく
ずっと自分の中にあるものです。
だから人にできることは
その人の代わりに答えを出すことではなく
見えなくなっているものを一緒に見たり
絡まった糸を少しずつほどいたり
自分の声が聞こえるところまで隣を歩いたりすること
そして
その人が自分の答えを見つけたら
その答えを尊重すること。
たとえそれが
自分なら選ばない答えだったとしても。
なぜなら
その人の人生の主人公は、その人だから。
救うということは
ずっと手を引いて歩くことではなく
いつかその手を離しても
「わたしは大丈夫。自分で選べる」
と想えるところまで一緒にいることです。
長い人生において、迷わなくなることはありません。
これからもきっと迷うし
わからなくなる日もある。
誰かに頼りたくなることだってあるでしょう。
それでも
何度迷っても
何度自分を見失っても
自分のところへ自分で還ってこられる
そのことを知っている人は
また自分の足で歩き始めることができます。
Naomiの言靈
答えを与えられることだけでは
人は本当の意味では救われない。
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