
「普通はこうでしょ?」
「一般的にはそうじゃない?」
自分とは違う考え方や
少数派の意見や言動を持つ人に出会うと
使ってしまいがちな言葉です。
もちろん、社会の中で
「一般的な考え方」が役立つ場面もあります。
でも
その「普通」が絶対の正解になったとき
人は知らないうちに、人をジャッジし始めます。
「あの人は間違っている」
「わたしのほうが正しい」と。
でも、本当に相手が間違っているのでしょうか。
人が誰かに強く反応するとき
その奥には
自分でも氣づいていない想いが
隠れています。
たとえば
休んでいる人を見て腹が立つ。
自由に生きている人を見るとモヤモヤする。
自分の意見をはっきり言える人にイライラする。
そんなとき
本当に反応しているのは相手ではなく
「本当は自分もそうしたかった」
という、自分の心なのかもしれません。
休みたかった。
でも休めなかった。
甘えたかった。
でも、甘えてはいけないと想ってきた。
「ちゃんとしなきゃ」
「がまんしなきゃ」
「期待に応えなきゃ」
そうやって一生懸命生きてきた人ほど
その反対を選んでいる人を見ると
心がざわつくことがあります。
それは、その人がわるいからではありません。
ずっと自分に我慢をさせてきた
優しい人だからです。
そして、もう一つ。
人は意外と
「察してほしい」
を抱えて生きています。
「どうして氣づいてくれないの?」
「言わなくても分かるでしょ」
そう想ってしまうことがあります。
でも
相手には相手の見えている世界があります。
自分には当たり前でも
相手には分からないこともある。
だから、一言伝えてみる。
それだけで、すれ違いがなくなることもあります。
それでも伝えたくないなら
無理に分かってもらおうとしなくてもいい。
その人にはその人の考え方があり
自分には自分の考え方があるからです。
違っていてもいい
それだけのことなのです。
人は、自分に許していないことを、誰かにも許せません。
自分が休むことを許していない人は
休んでいる人が氣になる。
自分が自由を許していない人は
自由な人が氣になる。
自分が失敗を許していない人は
失敗しても笑っている人が氣になる。
でも、それはわるいことではありません。
心が「本当はわたしも、自分を許したい」
と教えてくれているサインなのです。
だから、もし
誰かを見て強く反応したなら
「なんであの人は!」
と考える前に
「わたしは、本当は何を自分に許したかったんだろう」
と、自分に問うてみましょう。
その問いは
相手を責めるためではなく
自分を知るための問いです。
人を変えようとすると、苦しくなります。
でも
自分を理解しようとすると
少しずつ心は軽くなっていきます。
誰かを許すことは難しくても
まずは、自分を許すことから始めてみる。
すると不思議なことに
今まで氣になっていた人のことも
「その人にはその人の人生があるんだな」
と、少し穏やかに見られるようになります。
結局、人生で出会う出来事や人は
「誰が正しいか」を教えるために現れるのではなく
「まだ許せていない自分」に氣づかせるために
現れているのかもしれません。
だから今日も
誰かをジャッジする代わりに
自分へ問いかけてみましょう。
「わたしは今日、何を自分に許してあげようかな」と。
Naomiの言靈
相手を許せないのは
あなたがずっと自分に我慢をさせてきた
優しい人だから。
まずは自分を許そう。
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