
幼い頃は
もっと自由だった氣がしませんか?
今日は、これが好き
やっぱり嫌
今度はこっち
そんなふうに
その瞬間瞬間の
自分の氣持ちに正直に生きていたはずです。
でも
成長するにつれて
こうやったら怒られる
こうやったら親の機嫌がわるくなる
こうした方が褒められる
こうした方が好かれる
こうした方が認められる
こうした方が正しい
と、学んでいき
それがいつしか
「自分はどうしたい?」
よりも
「何が正解なんだろう?」
を探すようになっていく。
もちろん
それが必要な時期もあります。
社会の中で生きるため
人と関わるため
責任を持つために。
でも
正解探しが長く続くと
だんだん苦しくなってくるのです。
正しいことをしているはずなのに
教わったことを忠実に生きているのに
なぜ?と。
それは
本当は、人生には
唯一の正解がないことの方が多いからです。
仕事も
人間関係も
結婚も
生き方も。
どちらを選んでも
得るものがあり
失うものがある。
どちらにも良さがあり
どちらにも課題がある。
だから本当は
「どっちが正しい?」
ではなく
「今の自分はどちらを選びたい?」
が、「正しい」のです。
ところで
「どっちでもいい」
という言葉を
どこか無責任なものだと
感じたことはないですか?
真剣に考えていない
逃げている
向き合っていない
と。
人生を重ね
自分にも相手にも誠実な
「本当に深い、どっちでもいい」は
投げやりでも
無関心でもなく
どちらにも価値があることを知った人が
辿り着く境地なのだと氣づきます。
白にも意味がある
黒にも意味がある
グレーにも意味がある
右にも景色がある
左にも景色がある
勝ちにも学びがあり
負けにも学びがある
そのことを知った上で
「自分は今、こちらを選ぶ」
と言えること。
それが本当の自由なのかもしれません。
人生経験を重ねるほど
白黒つけられないことが増えていきます。
でも
それは曖昧になったのではなく
許容範囲が広がったり
包容力が育ったということ。
以前よりも
たくさんの景色を
見られるようになったということです。
だから
本当に深い「どっちでもいい」
と想えるようになったとき
人は少し大人になるのかもしれません。
正解を探し続ける生き方から
自分で選ぶ生き方へ。
誰かの期待を生きる人生から
自分の人生を生きる人生へ。
そして
「これが正しいから」
ではなく
「自分はこれを選びたいから」
で決められるようになったとき
人はようやく
自分自身の人生を歩き始めるのです。
Naomiの言靈
本当に深い「どっちでもいい」
と想えるようになったとき
人は少し大人になる。
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