
この世界、
表現は違えど、すべて同じことを言っています。
仏教でいう「空」も
心理学でいう「無意識」も
量子的・宇宙的な世界観も
結局は
固定された実体はなく
すべては関係性と認識で成り立っている
というところに繋がっていきます。
だから
どれが正しいか、ではなく
「自分がどの視点を使うと、人生をより自由に生きられるか」
の方が大切です。
そして
なぜこうなった?を追求しすぎても意味がありません。
もちろん原因を見つめることが必要な時期もあります。
でも、ずっと「過去の分析」に留まり続けると
人生が「解釈」だけで終わってしまうことがあるのです。
人生は
本当は「理解するため」だけではなく
「体験するため」にあるのかもしれません。
悲しみも
怒りも
孤独も
喜びも
良い悪いではなく
「人間として味わう感情」そのもの。
だからこそ
感情を感じ切らないときは、同じことが繰り返されます。
まだ、体験しきってないですよね?
味わいきってないですよね?と。
感じ切れていない感情は
形を変えて何度も現れます。
逆に
ちゃんと味わい尽くしたものは
執着ではなく「経験」に変わっていきます。
「あのとき、あんなことがあったのよ(笑)」
と、笑い話のネタにできて
聞いている周りもお腹から笑えるのは
感情を感じ切ったからなのです。
感情を感じ切ってないときは
周りには痛々しく聞こえるし見えます。
結局、いつまでも悩み続ける人は
悩み続けることが好きなのです。
厳しく聞こえる人もいるかもしれませんが、
実際には「その状態に安心を感じている」ということでもあるのです。
人は、苦しくても、慣れた世界に留まろうとします。
だから
変化とは、単に環境を変えることではなく
「その感情の世界から出てもいい」と
自分に許可を出すことです。
自分に起こる出来事を
「善悪」ではなく
「体験」と「選択」の視点で人生を見てみましょう。
この地球に、善悪はありません。
そもそも存在していない。
ただ、自分がそれは善だ悪だ、と決めているだけなのです。
どれだけ視座を高くして多くの視点を持てるかが
この世界で幸せを感じ続けて生きられるか、です。
人格者
人徳がある
人間性が高い
意識レベルが高い
というのは、つまりは
視座が高い
多角的視点がある
俯瞰してみられる
ということです。
視座を高くすることで俯瞰して物事を捉えられます。
高い位置から見ると
自分の人生の舞台上で物語が着々と進み
そこで自分が主役を演じ
周りが最高の脇役を演じてくれている
ただそれだけなのです。
Naomiの言靈
視点が変わると
世界の意味づけそのものが変わる。 | 還る対話 #01
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