誰かが見てくれている。
孤独だと想っているときは
この考え方は支えになります。
誰も見てないし。
自分に都合よく、のときは
この考え方が背中を押します。
その時々で
誰かが見ていてくれると想ったり
誰も見ていないと想ったり
人はとても勝手です。
でも、その誰かは、誰でしょうか?
見てくれていると想うときも
見てないし、と想うときも
その誰かは、自分自身です。
誰も見ていない、と想っていても
自分自身が常に見ています。
自分が、自分の目撃者なのです。
言わなければ分からない
黙っていたら分からない
見えてなければ分からない
でも、自分は分かっています。
誰か、は、自分です。
自分を常に一番見ているのは
自分自身、です。
Naomiの言靈
誰も見ていなくても
自分自身が常に見ている。
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