そんなことしたら、かわいそう
そんなことしたら、気の毒
そんなこと、信じられない
そんなこと、あり得ない
誰が、かわいそうで
誰が、気の毒で
誰が、信じられないと想っていて
誰が、あり得ないと想っているのでしょう?
その誰かは相手ではなく、自分ではないですか?
誰かから見れば、それはかわいそうなことではなくて
誰かから見れば、それは信じられることなのです。
自分の正しいを、相手にとっても正しいんだと押し付けたり
自分の問題を、相手の問題にすり替えたり
自分で勝手に、「こうに違いない!」と決めつけたり想い込んだりしないことです。
自分は、こう想う
自分は、こう感じる
自分なら、こうする
話の主語は、常に自分にすることで
話はとてもシンプルになり、ややこしい展開はなくなっていきます。
誰かのせいにしたくなるのは、自分がとても不安だから。
決めつけて生きている方が、責任を負わなくていいという意味で
実際はとても楽なのです。
同じ価値観や考え方の人たちと「そうだよね、そうだよね」と
「あなたと私は同じだよね」と確認し合いながら同じ場所にいる方が
一人だけ孤独になる不安から解消されるのです。
ただ、その解消方法は一番楽な選択肢ではありません。
相手ありきのものなので、相手の対応によってはますます不安に陥るのです。
自分なら、どう感じるか
自分なら、何を想うか
自分なら、どうしたいか
常に自分を主語にすることで、逆に不安もなくなっていきます。
相手も、自分も、誰もが正しい
いろんな考え方があるよねと受け止められたとき
自分一人が焦ったり不安に陥ったりすることはなくなります。
◆◇◆ 画道(Gado)創始者Naomiの今日の1本! ◆◇◆
『 自分を認めてほしい人ほど自分を主語にして話ができない。
でも、自分を主語にすると逆に不安は減る 』
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