
人は誰しも
「誰かの幸せを願う」
「こうなりますように」
と想う瞬間があります。
でも、よく見つめてみると
願うという行為の中には
ほんの少しの「自分の望む形でそうなってほしい」
という想いが混ざっていることがあります。
それは悪いことではありません。
むしろ自然なことです。
人は、結果を通して安心したい生き物だから。
でも、祈りという次元に意識が移ると
その形への執着が静かに消えていきます。
祈りには、こうなってほしいという指示がない。
ただ、光が届きますように。
ただ、最善が起こりますように。
それだけ。
そこには、自分の都合も、見返りもありません。
祈りとは、宇宙にゆだねる愛の波動。
意識を超えて広がっていく純粋な想いです。
願いは「個」から発される意識。
祈りは「全体」に溶ける意識。
願いは方向を持ち
祈りは空に還ります。
誰かの痛みに手を合わせるとき
その痛みを変えようとせず
ただ光をそっと灯すような祈りが生まれます。
それは相手を救うためではなく
共にあるという愛の共鳴です。
祈りは、動かすための力ではなく
調和へ戻すための静けさ。
何かを変えようとする願いが終わるとき
祈りが始まります。
そしてその瞬間
わたしたちは「すでにすべては整っている」
という真実に氣づくのです。
Naomiの言靈
何かを変えようとする
「願い」が終わるとき
「祈り」が始まる。
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