誰かが苦しんでいるとき
誰かが迷っているとき
大切な人であればあるほど
「助けてあげたい」
「なんとかしてあげたい」
「せめて、道を照らしてあげたい」
と想ってしまいます。
そして、その想いは、
確かに尊く、美しいものです。
でも、その想いがときに
相手の魂の成長の機会を
奪ってしまうことがあります。
目の前にいる人が、転びそうなとき。
失敗しそうなとき。
後戻りしそうなとき。
つい手を伸ばしたくなります。
ついアドバイスしたくなります。
つい、代わりに答えを出してあげたくなります。
でも
その「こける」という体験の中にこそ
その人の魂にしか得られない氣づきがあるのです。
本当の愛とは
「その人の苦しみや迷いすらも、奪わないこと」です。
痛みも、混乱も、問いも、迷いも
すべてがその人に必要なプロセスであるならば
そばにいる者ができるのは
そっと隣に立ち、照らし、見守ることです。
助けないことは
冷たさでも見放すことではなく
相手を信じて待つということです。
そしてそれは
自分自身の不安や執着を
超えていく旅でもあります。
助けないことも、愛です。
だからこそ、見守ることは、愛の最終章。
見守ることは
助けることよりも勇氣がいります。
でも、信じて待つという在り方に
その人の本当の力を信じる本氣が宿っているのです。
「助けない」という選択は
冷たさではなく、深い敬意の表現。
それでも助けたいと想うときは
その想いのままに
心の中でそっと祈りましょう。
それは、相手の魂には届いています。
わたしたちは見えないところで
みんな繋がっているから。
Naomiの言靈
見守ることは
助けることよりも勇氣がいる。
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