あのとき、できなかった悔しかった想い
あのとき、あきらめてしまった情けない想い
悲しみやつらさに苛まれ
どん底まで自信をなくしてしまうこと
それが起こった当初は
なかなかその現実を受け入れられないでしょう。
自分を責め、誰かを責め
そんな心の葛藤を乗り越えて
徐々にすべてを受け入れ
認められるようになっていきます。
それが自分にとって大きな出来事であればあるほど
そこにたどり着くまでに
とても時間も掛かることでしょう。
でも、この受け入れ認めたことで
すべてがクリアでき完了したわけではありません。
これがクリアでき完了となるには
もう一度、それ以上の似たような状況が起こったときに
乗り越えられる自分かどうか、なのです。
本当に、受け入れて認めていますか?
どんなことがあってももう揺らがないですか?
そんなお試しが目の前で起こるのです。
受け入れ認めることまではできるのです。
誰かに話を聴いてもらい
本を読み、セミナーで学び
ああそうだったな
そっか、そういうことだったのか
と、時間を掛けて腑に落とし理解していけば
経験した過去の出来事についてはクリアできます。
でも、人は、ついついこの段階で
分かったつもり理解したつもりになり
もうデキる自分だと勘違いしてしまうのです。
でも、本当に理解できた、とは
認めた上で、なおそれ以上の似たようなことが起こっても
それを受け入れ認めることができるかどうか、なのです。
そこをクリアしてはじめて
真に、受け入れ認めた、となるのです。
だから
もう学んだのに、なぜまたこんなことが起こるの?
どうして自分だけにこんな苦しいことが起こるの?
となるのは
じゃあ、学んだことを行動に起こせますか?
と問われているに過ぎないのです。
過去の出来事は受け入れたけれど
未来に起こる出来事は受け入れられませんでは
過去の出来事から何も学んでいませんね、となるのです。
学んで理解できたことは
あくまでも頭で分かっていることで
現実に行動に起こせるかは別です。
じゃあ、本当にできるかどうかやってみましょうか
と、神様は目の前に問題を出しているのです。
何も知らないときに起こった出来事を受け止めるよりも
すべてを知った上でなお起こった出来事を受け止めることの方が
本当はとても壁が高いことなのです。
それができてやっと、完了、になるのです。
Naomiの言霊
過去を受け入れ認めて完了
ではなく
もう一度それ以上の状況を受け入れ認めるから
完了できる。
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