会ったから
話をしたから
話を聴いたから
想いは伝えたから
想いは聴いたから
連絡はマメにしているから
だから、コミュニケーションがきちんと取れているということではありません。
どんなに話をしようが
どんなに時間を割こうが
どんなに想いを伝えようが
正直、何かを形にしていくときのコミュニケーションの真髄はそこではないのです。
大切なのは
「お互い」が何を想い
「お互い」がどこに向かおうとしているのか
それぞれが想い描く未来を
どこまで「お互い」が共有しているかどうかなのです。
そこがきちんと共有できていれば
お互いがお互いのことを十分に理解できているという信頼関係もでき
それぞれが何をしなければいけないのかを自発的に考えて行動に起こせるので
妙な誤解やすれ違いが出てくることもほとんどなく
物事はスムーズに動いていきます。
相手が何を考えているのか分からない
相手がどこに向かおうとしているのかが分からない
自分のことも分かってもらえないんだったら一人でやる
これでは、誰もどこに向かっていけばいいのかが分からず
ゴールが見えないことには今何をしていいのかも分かりません。
相手が動けないのは
自ら考えて動くだけの能力がないのではなく
考えて動けるだけの情報と信頼関係がないのです。
もちろん
お互いの想いを語り合いって共有し同じベクトルに向けるまでには
相当の時間が掛かります。
お互いが本気だからこそ、ぶつかり合うこともあるでしょう。
でも、ぶつかろうが何だろうが
一番時間を掛けるべきは、そこなのです。
あきらめずに、逃げずに
ここに時間を掛けて信頼関係を築けば
あとは、それぞれがお互いの役割を最大限に果たせて
1+1が、2にも10にもなっていくのです。
究極のコミュニケーションは
会話をしなくても、お互いの考えていることが分かることです。
究極の信頼関係は
会話をしなくても、物理的距離があっても、常に繋がっている感があることです。
究極のコミュニケーションがあるから、究極の信頼関係もでき
究極の信頼関係があるから、究極のコミュニケーションができるのです。
自分の想いを、相手が自分以上に分かって理解してくれていること
自分の想いが先走り上手く言葉にできないことでも
相手がそれを確実にキャッチして自分の想い以上に言葉にしてくれること
自分が見ている未来以上に先回りして
「きっと、これがやりたいんだよね?」とキャッチしてくれること
究極の信頼関係と究極のコミュニケーションがあれば
必ず、これらができるようになります。
何も、特別な人だけができるということではありません。
一番、時間を労力を掛けるべきところにきちんと掛けて
誠実に向き合えば、誰でもができることなのです。
ぶつかってくれる人がいることも
分かってくれない人がいることも
腹が立つ相手がいることも
厳しいことを言ってくれる人がいることも
痛いところを突いてくる人がいることも
本当はとてもありがたいことです。
その分厚く高い壁を乗り越えないといけないくらい
お互いが求めているものが高いところ
つまりは、お互いの心の深いところにあるということなのです。
お互いに、想いを語り合いながら、その壁を登り
お互いに、想いをぶつけ合いながら、その壁を突破していくのです。
お互いの想い、ちゃんと共有できていますか?
◆◇◆ 画道(Gado)創者Naomiの今日の1本! ◆◇◆
『 究極のコミュニケーションは信頼関係からくる
いつも繋がっている感。
お互いの想い、共有できていますか? 』
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