日本語が話せるということではありません。
相手と理解し合うには
日本語が話せる以上に、共通言語、いわゆる「共通認識」がいるのです。
自分と同じ共通認識を持つ人とのコミュニケーションは
とても取りやすいものです。
1を1という認識があり
100を100という認識の元で話ができます。
え?そんなこと当たり前では?と想うかもしれないですが
同じ日本語が話せたとしても
1を10と認識する人や
100を200と認識する人とは話が噛み合なくなるのです。
え?そんなの、当たり前のことでしょ?と想うかもしれませんが
これが、48を47と認識する人
100を101と認識する人と話をするとどうでしょう?
それくらい、と想うかもしれませんが
大きく違っても
微妙に違っても
いづれこの差は、大きな差になっていくのです。
この差がコミュニケーションを図る上で大きな障害になります。
相手と円滑なコミュニケーションを取るには
この障害をなくす努力をすることが必須なのです。
あなたの認識はこうなんだね。
あなたはこれをこの認識で生きてきてるんだね。
なるほど、だから、こんな風に受け止めるんだね。
私はボクはこう想っているよ。
こんな風に表現するときは、こんな風に想っているんだよ。
お互いが同じ情報を共有し理解し合うためには
必ず共通認識が要ります。
日本語を話せるから、じゃあ伝わる、ということではないのです。
日本語を話せるだけで円滑なコミュニケーションが取れるなら
誰も人間関係で悩まないでしょう。
人は、育った環境も学んだことも経験したことも違います。
似たような環境で育った人とは共通認識も持ちやすいですが
まるで違う環境で育った人とは
赤が黒に見えるのか!?と想うほど真逆の認識しか持っていないこともあります。
まずは、相手との共通認識を増やしていくこと。
地道なことですが
伝えたことと伝わったことを近付けていきお互いが理解し合うためは
あきらめない密なコミュニケーションが必要です。
◆◇◆ 画道(Gado)創者Naomiの今日の1本! ◆◇◆
『 相手と真に理解し合うには
日本語が話せるという共通言語以上に
「共通認識」がいる 』
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
※Emailは公開されません。また、スパム対策のため日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。