そもそも、自分の目に映るモノが
他の人にも同じように映っているわけではありません。
私たちは、見たいモノしか見えていないし
私たちは、見たいモノしか見ていないのです。
私たちは、しばしば、大切なモノをよく見失います。
でもそれは、私たちが
見ようとしていないから、見えていないだけかもしれません。
本当は、存在しているのです。
本当は、すぐ側にいつもあるのです。
でも、見えない見えない、どこにある?どこにある?
と、私たちはいつも言います。
本当は、見たくないだけかもしれません。
そもそも、そんなものはないのかもしれないと
だから貴重で大切なモノなんだと
大層に想い込んでいるから見えないだけかもしれません。
でも、そう想い込みながら、見たい見たいとワガママを言います。
目があるから、見えているのではなく
あると想うから、見えているのです。
目があるから、ないことが分かるのではなく
あると想うから、あると分かり、見えるのです。
大切なモノは、特別なモノだから
そんな簡単には見えないという想い込みで生きていませんか?
特別なモノだからこそ
そんな簡単に見えてほしくないと想っていませんか?
確かに、大切なモノは、物体として分かりやすく
肉眼の目に見えるモノでないことがしばしばです。
だからこそ、「本当に見えていないのですか?」と
いつも試されることが起こるのです。
◆◇◆ 画道(Gado)創始者Naomiの今日の1本! ◆◇◆
『 大切なものは目に見えない。
目に見えないからこそ試される 』
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