自分の許容範囲を超えることが起こったとき
いきなり許すということはできません。
そんな聖人のようなことがどんな状況でもできるなら
ここに肉体を持って生まれて来る必要もないでしょう。
相手を憎むことでしか
相手を責めることでしか
自分を憎むことでしか
自分を責めることでしか
自分が自分を保てない時期というのは必ずあります。
もし、憎んではいけない、責めてはいけないと
そのときの心の奥底から湧き出てくる感情を押さえてしまえば
あとからそのぶり返しが必ずきます。
苦しいよって
つらいよって
泣き崩れて
誰かのせいにすることがあってもいいのです。
逆に
結局は、誰も何も悪くなかったと
将来きちんと想えるために
その時期は必要なのです。
愛と憎しみは、表裏一体です。
愛を持っているということは、憎しみも持っているということです。
憎しみを持っているということは、愛も持っているということです。
ただ、いつまでも許せないと許さないと
憎しみを持ち続けて生きていると
必ず「いつまで、許さないで生きるんですか?」という状況が目の前に起きます。
許さない、許せないというのは
誰かに対してではなく、本当は自分自身に対してなのです。
いつまでも許さない許せないと過ごすことは
自分を、自分の生き方を否定することに繋がります。
時間が経てば、いつか必ず分かっていきます。
許すということが、許せるということが。
結局、誰も何も悪くなかったんだということが。
◆◇◆ 画道(Gado)創始者Naomiの今日の1本! ◆◇◆
『 愛と憎しみは表裏一体。許せるときは必ず来る 』
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